業界スコープ

自衛隊を退職しました(平成3年)

平成3年10月23日、筆者は自衛官を退職する道を選び、退官する
ことになりました。
続く赤字経営と家庭の事情もあり、悩みに悩み、最終結論を出した
結果でした。
当日のことを振り返りますと、最後の序教の点検が行われ、営内班の
10名のメンバーは決定している後期部隊へと移動となりました。
そして筆者と数名の者は皆を見送ってから、最後の片づけを終え、制服から
私物ジャージに着替えて駐屯地を後にすることになりました。
ですが、筆者からすれば様々な問題を抱え、これからどうするのかということを
考えていたのは事実であります。
こうして自衛隊時代の幕を下ろすのは残念なことではありましたが、
筆者にとって一般ではできない貴重な体験をしたわけでありますが、
この体験が後に役立っているのは云うまでもありません。

そして、ここから筆者は新たなアクションを起こしていくことになったのは
云うまでもありませんが、様々な職業を体験するきっかけになったので
あります。


2014/10/23(木) | 仕事/公務編 | トラックバック(0) | コメント(0)

10Km行軍(平成3年)

平成3年9月11日、部隊は10Km行軍を行いました。
この行軍の目的は最終の富士野営における25Km行軍に備えての予行演習も
兼ねているだけでなく、一般道の行軍についての訓練も含まれております。
当日ですが、あいにくのでしたが、自衛隊らしく、衣を着用しての
行軍となりました。
部隊は駐屯地を出て、林交差点から県道に入り、山坂道をひたすら進んで行きます。

10km行軍修正
黒い線の範囲が行軍のルートです。
但し、このルートは記憶を辿って作成しましたので、実際のルートと違う
箇所があることをあらかじめご了承ください。
画像をクリックすると、大きな画像でご覧頂けます。


途中、横須賀武中継局の巨大なアンテナ群があり、迫力があったことを覚えて
おりますが、何せ背の高い人が先頭になっておりますので、筆者は追い上げる
だけで大変だったことを覚えております。

途中の農道の道端で休憩を行い、駐屯地から配給されたおにぎりを食べたり、
お茶を飲んで一服タイムを行いました。

休憩修正
農道の道端で休憩中の21班員。
他隊員のプライバシー保護のため、画像に修正を施してあります。
写真をクリックすると、大きな画像でご覧頂けます。


そして、休憩をした後、今度は、山坂道を下り、国道134号線を北上して
長浜海岸入口の交差点を左折して、細い道を抜けますと、目的地の
長浜海岸へ到着です。
この長浜海岸では昼食を取った後に記念撮影が行われました。

海岸での食事修正
海岸で食事中の筆者です。左はNI2士です。
他隊員のプライバシー保護のため、画像に
修正を施してあります。
写真をクリックすると、大きな画像で
ご覧頂けます。


長浜海岸修正
長浜海岸での記念写真です。
後に見ますと、筆者としましてはいい思い出に感じました。
他隊員のプライバシー保護のため、画像に修正を施してあります。
写真をクリックすると、大きな画像でご覧頂けます。


1時間半ほど休憩を行い、部隊は国道134号線を北上し、無事に駐屯地まで
戻ることができました。
当日の事を思い出しますと、本当に疲れましたが、今振り返ってみますと、
本当によくこれだけの事ができたなぁと思ったのは事実ではありますが、
後の25Km行軍の際に役立ったのも事実です。


2014/09/11(木) | 仕事/公務編 | トラックバック(0) | コメント(0)

64式小銃の分解と組立(平成3年)

先日の記事で行進の練習について触れましたが、今回は64式小銃分解
組立になります。
この64式7.62mm小銃は戦闘訓練や行進訓練だけでなく、各種儀式にも
用いるばかりではなく、有事の際には国民の皆様を守るための重要な
武器であります。
自衛隊では日頃から有事の時や訓練などで実弾を発射することがあり、
日頃からの備えの一貫として小銃分解と清掃を行っております。
今回は小銃の基本的な分解と組立の訓練を行っております。

銃分解整備修正
64式小銃分解と組立の訓練中の模様。
写真の真ん中が筆者です。


この64式小銃ですが、自衛官だけでなく、軍事マニアなどの方は
ご存知かと思いますが、戦後生まれの平和な小銃ではありますが、
部品点数の多さがよく話題になっておりますが、この基本分解には
試験もあり、それぞれを3分以内にできるかも試されるのです。
筆者も写真の通り訓練に参加しておりますが、最終的には3分ギリギリで
最終の試験には合格しました。
そしてこの分解整備ですが、自衛隊の内規では実弾や空包などを発射した
後は3日間連続で整備することが定められており、一苦労であったのは
事実でありますが、助教の教官である23班のA班長(3曹)は班員である
NI2士のポケットに使用済の手入れ用パッチ(布製)を入れろと冗談を
飛ばした事をきっかけに中隊の中でNI2士のあだ名は「ゴミ箱」という
あだ名で呼ばれるようになった事を覚えております。

この小銃分解の後、筆者は実弾を発射する訓練に参加することに
なったのは言うまでもありませんでした。


2014/09/07(日) | 仕事/公務編 | トラックバック(0) | コメント(0)

実弾射撃(平成3年)

平成3年9月のことですが、筆者は横須賀市の長坂にあります射撃場において
実弾を発射する訓練を受けました。


星印の場所が長坂射撃場です。

今回は1回目の射撃となりますが、緊張をしたことを覚えております。
実際に射撃をしてみた感想はと云いますと、テレビなどでの音声と
違い、ドーンという大音響だったのと、肩にはかなりの力がかかった
ことと、弾が発射される度に赤いレーザーのような閃光(と言っても
火薬の火花です)を見た事を覚えております。
そのため、訓練を開始するに当たって各隊員は耳栓を購入させられた
ことを覚えております。
この施設は周囲への騒音対策として防音が施されており、音は外部に
漏れない構造となっているばかりでなく、万一弾が的以外の場所に
それた場合に備えて厚いコンクリートで覆われている関係で部屋の
中が暗く、まるでトンネルの中にいるかの感覚であったことを覚えて
おります。
21班は後に射撃優秀班に選ばれることになり、部屋の前の
壁には優秀班である看板が掲げられたのは事実です。

優秀班1
優秀班受賞後に撮影した優秀班の看板。(洗濯物乾燥室にて筆者撮影)
この写真でソファーで一名寝ておりますが、公務時間外に撮影しておりますので
法的には問題はありません事を申し添えておきます。
隊員の肖像権とプライバシー保護のため、画像に修正を施してあります。


この射撃の後には面倒なお手入れが待っておりますので、各隊員は射撃後に
銃口や弾やガスが使われる箇所を呉5-56を吹き込んで、云わば油漬けの状態に
したことを覚えております。

556.jpg 軍事現場でも大活躍の呉工業製 5-56(製品案内はこちらです)


この射撃の訓練の後には、10Km行軍がありますが、後の25Km行軍への
プロローグであったのは事実です。


2014/09/06(土) | 仕事/公務編 | トラックバック(0) | コメント(0)

戦闘訓練(平成3年)

日増しに増えてくるカリキュラム、避けて通れないのは事実です。
本日は戦闘訓練について書きたいかと思います。
いつもは新しい戦闘服上着にジャージですが、本日の訓練は
汚れはなんのそのの戦闘訓練です。

戦闘訓練1
本館南側の訓練場に整列の模様
隊員のプライバシー保護のために、画像に修正を施してあります。


今回は匍匐(ほふく)前進の訓練です。
新しい戦闘服を使うのでは汚れがつき、落ちなくなり、洗濯が
追いつかなくなるため、隊から使い古しの戦闘服(代用戦闘服)が
支給されました。
この匍匐前進の訓練ですが、戦闘を行うに当たっての基本であり、
戦闘の際に敵の銃弾をよけて移動しなければ戦死という危険な
状況下を想定して匍匐前進で進むというものであります。
もちろん、この場合においても各自は自分の64式小銃を手放すこと
なく行わなければなりません。
戦闘の状況を想定しての伏せから始まって匍匐前進を行い、
指揮官の命令で最終的には敵地に突入を行うまでを繰り返しを
連日のように行っていたことを覚えております。

戦闘訓練2 匍匐前進を行う筆者

この訓練ですが、頭には頭部を保護するため鉄帽(通称・テッパチ)
被っておりますが、当時のこの鉄帽は旧軍さながらの鉄製で重くて
この訓練を行っている最中に頭が痛くなったことを覚えております。
今では新型の鉄帽に移行したそうでありますが、誠明の業界で職員の
暴力で坐骨神経を痛めている筆者にとってきつかったのは言うまでも
ありませんが、若さで乗り切った事を覚えております。
そして、戦闘訓練が降っていようと強行されますので、
思いっきり汚れます。
時には訓練終了後に、班長が消火栓を開けて放水で汚れを落として
から隊舎に戻ることになりますが、半長靴は意地の悪さで乾き
切らず、手入れが大変だったことを覚えております。

戦闘訓練3 訓練終了後に消火栓で汚れを落とす模様です。


このことが、先日の記事でも書きましたが、職業病の一つである
水虫の蔓延の原因であるのは言うまでもありませんでした。


2014/09/03(水) | 仕事/公務編 | トラックバック(0) | コメント(0)

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