業界スコープ

消える思い出の場所(東芝青梅工場)

東芝青梅工場と云えば誠明の業界関係者には思い出のある場所の
一つとなっておりますが、今年3月末で閉鎖されることになりました。

末広2丁目東芝青梅工場前交差点

数多くの諸先輩方も年に一回の東芝まつりには毎年、東芝から手厚い
ご招待を頂き、楽しいひとときを過ごさせて頂いた事を覚えております。
それだけでなく、筆者としましては生まれて初めてワープロに触った
場所でもあり、筆者の人生に大きな影響を与えたのは事実であります。
報道等を見ておりますと、東芝の不正経理事件による粉飾決算と清算の
ために野村不動産に売却されるとの事ですが、
筆者としましては、思い出の場所が消えるというニュースを見て、いても
立ってもいられない気持ちになり、急遽、特集を組みました。

東芝青梅工場の皆様には長年に渡り、お祭のご招待だけでなく、隣人として
おつきあい頂きました事に誠明の業界関係者の一人として感謝と御礼を
申し上げます。
良い思い出をありがとうございました。
従業員さんの今後のご活躍をお祈り申し上げます。


                             2017年4月9日

                           業界スコープ編集部
                             編集長 業界のフォーカスマン

2017/04/09(日) | 生活/筆者の身の回り編 | トラックバック(0) | コメント(0)

新潟旅行(平成3年) その4

先程の記事では東下条駅を取り上げましたが、今回の記事で駅舎を
取り上げたのかと言いますと、昭和57年当時、筆者が学校へ行くため
にはこの磐越西線に乗って五十島から東下条へ行き来する必要が
あったからであります。そのため学校からは定期券が支給されて
いたのは事実であります。
当時の事を思い出しますと、磐越西線は道路と同様に新潟と福島を結ぶ
重要な路線でもありますが、電化されていない(会津若松からは電化
されております)ため往年の旧式客車がディーゼル機関車で牽引
されており、鉄道マニアには生唾モンであったのは云うまでもありません。
最近では客車はディーゼルカーに変わりましたが、休日には企画列車
としてSLが運行
されておりおります。

さて、話は変わりますが、筆者が当時通っていた小学校を訪ねてみました。

下条小学校正門
新潟県三川村下条小学校の正門前です。
現在は阿賀町三川小学校と合併し、閉校となっております。


下条小学校校庭1 下条小学校校庭2 百条園
それぞれのサムネイルをクリックすると、大きな画像でご覧頂けます。
写真左:校庭の桜 中:校舎(増築分) 右:百条園


筆者はこの学校に短い期間しか居ませんでしたが、改めて見ますと
ちょっと懐かしい感じがします。
近所の田んぼを学校が農家から借りて田植えをした事を覚えております。
ですが、この下条小学校ですが、町村合併ブームの最中の激動に見舞われ、
町村合併と併せて平成17年に三川小学校と合併して閉校となり、
ちょっとさみしい感じがしたのは事実であります。

下条小学校を懐かしんできましたが、お昼になりましたので叔父の家に
戻って午後からはゆっくり近所のお寺へ行きました。
本堂 本堂のご本尊です。

ここで筆者は今回の旅行の終わりの無事を祈った事を覚えております。

翌日昼、筆者は叔母と息子夫婦に別れを告げて東京へ戻りました。
来た道を戻ることになりますが、国道を走行中に又もや懐かしいものを
発見しました。

阿賀野川ライン下り
阿賀野川ライン下り
(問)道の駅阿賀 (電)0254-99-2121 (営)9:00〜17:00


これは阿賀野川舟下りという観光船です。
阿賀野川は昔、いかだを組んで材木を運んだり、さまざまな商品を
船で運ぶなど重要な交通路でもあったのです。
現在は道の駅阿賀から定期観光船が出ております。

福島のスーパー 福島のスーパーで買い物休憩

そして筆者は到着する頃には夜中になりますので、夜食と土産の代わりに
スーパーで買い物をしてから夜間の道中を走り、一路、東京を目指しました。
到着したのは日付が回るギリギリだった事を覚えております。

今回の旅行で叔父を捕まえることに失敗しましたが、昔の友人と会うことが
できたことと、たくさんの写真を収めることができました。
ですが、叔父と母はこの頃山形等方々を転々としていたことを知ることに
なりましたが、この話はかなり後の話になりますが、長距離をバイクで
走り抜けることの難しさを知ったのは事実であります。
ですが、筆者はこの後もう一度新潟に行くことになろうとは
思ってもいなかったのは事実であります。
そのことをを含めて詳細は後に書くことにしたいかと思います。


2014/05/04(日) | 生活/筆者の身の回り編 | トラックバック(0) | コメント(1)

新潟旅行(平成3年) その3

五十島地区の散策をした後に筆者は下条地区へ移動することにしました。
移動するには若松街道を新潟方向へ進みますが、大きなトンネルを超え
なくてはなりません。

五十島トンネル入り口 若松街道を左折します。

五十島トンネル突入 左折すると、すぐにトンネルが現れます。

五十島トンネルです。 五十島トンネル看板

この五十島トンネルですが、昭和54年に開通しました。
開通前は非常に狭く、曲がりくねっており、難所と呼ばれていたという
話もありますが、撮影当時、磐越自動車道の建設がささやかれておりましたが、
磐越自動車道がない時代ですので、新潟から福島県へ抜けるためには重要な
道路であったのは事実です。
ですが、この当たりは移動するためにはこの国道しかなく、一昨年だったかと
思いますが、雪のために立ち往生し、自衛隊が救援に出動する事もあり、
冬場は今でも難所として恐れられているのは事実です。
五十島トンネルを抜けますと、洞門が連続する区間が続きます。
洞門を抜けてしばらく進みますと下条(げじょう)地区に入ります。
国道から左折しますと、東下条駅になります。


大きな地図で見る

東下条駅正面

今回、この駅舎の写真を大きくしたのかと言いますと、駅のは5月が
見ごろであるような気がしてならなかったのは事実であります。
東京ですと3月から4月上旬ですが、遅い東北の春を感じたのものです。
掲載の写真は無理やりプリントした関係で感じないかと思いますが、
フィルムで見ますと、の色が鮮明であり、撮影から20年以上経た
現在でも鮮明さを失っていないのは事実であります。

東下条駅看板 東下条駅待合室

東下条駅新津方向 東下条駅ホームから
それぞれのサムネイルをクリックすると、大きな画像でご覧頂けます。
写真左上:駅看板  写真右上:待合室
写真左下:駅ホーム 写真右下:ホームの前に広がる田んぼ



2014/05/04(日) | 生活/筆者の身の回り編 | トラックバック(0) | コメント(0)

新潟旅行(平成3年) その2

叔父の家に到着したのですが、叔父はおらず叔母と息子夫婦が
里帰りしている状態だったのです。

叔父宅から見た裏山
叔父宅は高台ですので裏山がきれいに見ることができます。
画像をクリックすると、大きな画像でご覧頂けます。


叔母にいつ帰ってくるのか尋ねたのですが、わからないの一点張りで
がっかりさせられたのは事実でありますが、近くに当時仲が良かった
同級生がいましたので、叔母に電話をかけてもらってから友人宅へ
向かいました。

有線電話機
有線電話機(松下通工製)
この村には当時、有線電話が各家庭や会社や駅・役場などの公共施設には必ず設置されており、
通話料無料で村内のどこへでも無料でかけられるシロモノでした。
夕方になりますと、村役場のお知らせなどが電話機のスピーカーから流れていた事を覚えております。


何年ぶりにか会いましたが昔の話で盛り上がった事を覚えております。
翌日は久しぶりに駅の周りや当時通っていた小学校などに行きました。

まずは五十島(いがしま)の周辺からご覧下さい
(それぞれのサムネイルをクリックすると、大きな画像でご覧頂けます)
五十島駅(JR東日本 磐越西線)
五十島駅正面  五十島駅階段

五十島駅前火の見櫓 駅前の商店にある火の見櫓です。

おまけ¦なべおさみ看板 撮影当時、マスコミを賑わしたなべおさみがモデルの金融会社の看板です。

阿賀野川 この河原で地区のバーベキューを楽しんだ事を覚えております。


2014/05/03(土) | 生活/筆者の身の回り編 | トラックバック(0) | コメント(0)

新潟旅行(平成3年) その1

平成3年の5月の連休を利用して筆者は新潟旅行へ行きました。
その目的はと言いますと、昭和57年に筆者の父母が離婚をした際に
言っていた事を確認したかったのが目的でした。
そのため、4月の中旬から計画を立てていたのであります。
そして、今回の相棒はヤマハYB50(A-F5B型 走行16,000Km)を使用
することにしました。

YB50公開 今回の旅行の相棒 ヤマハYB50(この写真はイメージです)

4月30日午後に筆者はYB50に着替え等を詰め込んで一路、新潟を目指しました。
新宿から国道4号を北上して日光で食事をした事を覚えております。
日光からは峠を何本も超えるというハードなスケジュールでした。
途中の福島県に入る前に給油をしたのですが、福島県昭和村で事件が
起こりました。
それはと言いますと「ガス欠」寸前の状態になったのであります。
国道にはスタンドが何件かありましたが、深夜のため、営業しておりません
ので困ったのですが、たまたま国道沿いに新聞店がありましたので事情を
話してガソリン3リットルを600円位で分けて頂き、事なきを得たのですが、
明け方早朝には今度はエンジントラブルが発生しました。
アクセルが戻らずにエンジンが高回転の状態になり危険な状態になりました。
この故障ですが、後に知ることになったのですが、アイシングという現象で
低い気温の中を長時間走ることでキャブレターが凍結し、ニードルが戻らなく
なり開きっぱなしの状態になるというものでしたが、エンジンを切ってしばらく
休ませたところ復旧しましたので、ホッとしたのは事実であります。
この晩は一部箇所で5月だというのに雪がパラついていたのも事実であり、
一部区間でタイヤチェーンを巻いた事を覚えております。

そして、夜は明け始めました。
夜明け¦福島
夜明けの国道49号(若松街道)の手前で撮影
画像をクリックすると、大きな画像でご覧頂けます。


国道49号(若松街道)新潟方向へ向かう途中に日石(現・エネオス)の
スタンドがありましたので急いで飛び込みました。
店員さんが、温まってねと店の事務所の休憩スペースに案内して
頂いた上でお茶を一杯頂いた事を覚えております。
このスタンドですが、10数年後に又もやお世話になるとは思っていも
いなかったのは事実であります。
そしてバイクは三川村(阿賀町)に突入しました。
村役場から走る事30分位で目的地に到着しました。


大きな地図で見る




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2014/05/03(土) | 生活/筆者の身の回り編 | トラックバック(0) | コメント(0)

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